この記事は、
父の長期に渡る闘病生活の中で、
家族として向き合ってきた想い…
最期の旅立ちまでを綴っております。
勝手な私の感覚で書いておりますので、
お読みになる前に、、、
先にお知らせをさせて頂きます…m(_ _)m
「この世で精一杯生きた」
という証を残してあげたい…そう思い…
このブログに綴る事にしました。
父が入院している病院の前には、
毎年綺麗な桜が咲いていた。
「味彩御膳 はなつばき」の中庭にも、
よく父が桜の大木をいけていたのを
思い出します。
父の葬儀から2日後に、
妹・真理の夢の中に父が出てきたそう。
着物を着てニコニコ笑顔の父が側に居て
「桜の木を植えて欲しい…」
と言っていたそう。
「桜を見て自分の事を想い出して欲しい」
との事なのでしょうか…
粋な事をしてくれますね^^
そして…父の命日となる2月29日は、
4年に一度しか訪れない閏日。
やっぱりやってくれましたね…父!
と言う感じです。
皆、口を揃えて言っておりました。
絶対お父さんの事忘れませんよ(笑)
元気な時、自由に飛びまわっていた父ですが
4年に1度しか帰ってこないと
言うことなのでしょうか…(笑)
きっと亡くなっても忙しいのでしょうね✨
父らしい旅立ち方です…✨🕊✨
2008年7月
『 急性大動脈解離 』を発病し、
約9時間にも及ぶ
手術後、父に後遺症が残りました。
長時間に渡る手術は、
他の機能にダメージを与え、
それで寝たままの状態に…
その後の父は、赤子の様に、
純粋無垢なものへと
変化していった様な氣が致します。
目が物語っておりました。
そんな父を見て、
「愛おしい存在」であると、
日を増すごとに
強く思う様になっていきました。
不思議です。
決して元氣な頃は、
そんなこと思った事もありませんでしたが…
(笑)
そんな父に私達は変わらず、
以前と同じ様に話しかけていました。
反応はありませんが、
耳は聴こえていると思いますし、
ちゃんと肉体を通して、
魂は聴いているはず…と…
「お父さん、大好きだよ。
いつも見守ってくれていてありがとう。
お父さんの事を尊敬しています。」
言葉の力…真の言霊は、愛となり…
父の魂へと染み込む…
父が元氣な頃には、
気恥ずかしくて、
絶対口にする事なんてなかったけれど、
父の肉体がある今…
しっかりと今、
今、伝えておきたかった。
物質をあの世に持っていく事は
出来ないけれど、愛は必ず
父の魂の中に残ると信じていたからです。
11年経った今、
父を通してこの事を学びました。
(私の勝手な感覚ではありますが…笑)
手術後に父が、
旅立ってしまっていたら、
この様な境地にまでは、
至らなかった事でしょう。
父が元氣な頃には、
いろんな感情が芽生え
よく喧嘩もしておりました。
でもこの長い入院期間中に、
様々な感情を精算する事もできましたし…
整理する事もできました。
体を動かさなくなって
11年経った肉体は、
少しずつ変化しておりましたが、
その様な状態で生かされていた事…
まさに奇跡が起こっていたとしか
いいようがありません。
長い間寝たままの状態だったのに
床ずれもできないで過ごせた事…
周りで支えて下さっていた介護士さん、
看護師さん、先生のおかげさま…
心を寄せて下さいました皆様…
そして…
見えない大いなる存在への
感謝しかありません。
昨年末に、ふと…
何故父は、この様な状態で、
こんなにも長い間生き続けているのか…
と思った時に、
感覚の中で父がこたえをくれました。
「まだこの家族でいたい」と…
涙が溢れ出しました。
時間が許す限り、
もっと逢いに行ってあげたい…と…
でも、インフルエンザや
コロナが流行り始め、
最後の方は、面会中止の中、
私達家族は、検温して10分間の面会。
その10分の中で、
父が亡くなる2日前、
父の事を祈っていたら、
着物姿の父が、祭りで踊るかの様に
両手の拳を握りしめ、
勇ましく振りかざしながら
青龍に乗って天に昇っていく姿を見ました。
はっきりと…
(2008年 父の大動脈解離手術後に出現した龍雲)
あぁ…もうそろそろなんだ…と感じ
母に伝えました。
なので、その翌日に、
事前に葬儀場へと、
足を運ぶ事にしたのです。
それが28日の出来事…
そして日が変わり、
29日の午前3時に電話が鳴り、
朝方、急いで病院に駆けつけました。
父は、待っていたかの様に、
しっかり両眼を大きく見開き、
私達を見つめ、息を荒くしました。
最近は目を閉じた状態が多かったので
驚きました。
私達も父の瞳を見つめ、手を取り、
感謝の言葉を沢山伝えました。
父のぬくもり、私達のぬくもり…
互いのぬくもりを感じる事ができる今…
目に見えないけれども
出来る限りの私達の愛を、
父の魂へと贈りたいと思いました。
紫色に変化し浮腫んだ足先は、
冷たくなっていました。
この足の状態で、父をあちらの世界へ
旅立たせたくなかった…
私が氣を送ると、
紫色だった部位は肌色へと変化し、
血行が良くなっていきました。
足…あたたかくなったね…
軽くなったね…
よかった…
せめてもの最後の親孝行になったかな?
父の瞳に膜が張り始めました。
きっと父の心が、
お別れの儀式を終えたのでしょう…
ゆっくりと目を閉じていき、
静かに眠る様に息を引き取りました。
とにかく父が苦しまないで、
旅立って行く事を祈っておりましたので、
本当に感謝でしかありません。
約12年間、意思表示もできなかった父。
でも…最後は力を振り絞り…
伝えようとしてくれた。
飲まず食わず動けず話せず…
父は…
ベッドの上の修行僧かの様でありました。
父は私達に「精一杯生きる」という事を
おしえてくれたのだと思います。
いつか父が元気になり帰ってくる…
という希望だけは持ち続けておりましたが、
年月が過ぎていくと…
父が苦しくありません様に…との
祈りに変化していきました。
父にとってみましたら
長い闘病生活から解放され
今頃安堵していることでしょう。
12年間本当に…
本当によくがんばったね…と
心から褒めたたえてあげたいと思います。
今までに見た事のない美しさ…
私には高貴な人⁈の様に見えました。
精一杯生きたので、魂が輝きを増し、
逞しい存在になった証なのではないかと…
納棺師さんに、ラストメイクをして貰い
着物を着せて頂いたら、
娘の私が言うのもなんですが…
益々いい男になりました。(笑)
自宅に一度も帰る事が出来なかった父…
一晩我が家に泊まる事もできました。
葬儀の時、
「楽になった 楽になった」と父の感覚が、
母へと伝わってきていたらしく、
母は父が楽になったのであればよかった…
と安心していました。
火葬場では、
喪主の母がボタンを押す事になっており
不安そうな母の姿を見た時、
私の中に
「魂は身体の中にはもうないから
心配しなくていい」と
父から言われた感覚があり、
そのまま母に伝えました。
今は、肉体から解放された魂として、
父はしっかり私達を近くで見守ってくれているのだという事を感じた瞬間でした。
父の最期のセレモニーは、
私の同級生が営む葬儀場。
生前父は、私の友人達とも
よく一緒に飲んだりしておりまして…
冗談で葬儀の話などをしていたらしい。
(笑)
父の生前の意向も汲み取って頂きながら
心の込もった見送りをして頂き、
父も大変幸せだったと思います。
友人夫妻、葬儀場のスタッフ皆様方にも
感謝申し上げます。
玉名市
父の大好きな藪椿が咲く頃…
菊池川のグリーンベルトの菜の花が
黄色い絨毯となる頃…
花がまもなく咲き始める頃…
父は自由になり、旅立っていきました。
父の象徴…
日本の象徴としての桜の開花はまもなく…
またすぐ父を感じる事ができるでしょう…
「味彩御膳はなつばき」の中庭に、父がいけた桜の大木
父の側で沢山の事を学ばせて貰いました。
目的に向かって努力をする事
自分の特技を仕事にする事
人生後悔しない様に生きる事
家族を大切にするという事
精一杯生きるという事
死んでいくという事を…
本当に最後まで精一杯生きた父…
尊敬できる立派な父でした。
お父さん、ありがとう。
永遠に大好きです。
私達は永遠に家族です。